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Myanmar Trip 4
NO4 仏陀の国 ミャンマー旅 NO1、NO2 NO3 NO5 NO6 NO7 NO8 NO9 NO10もあります
ミャンマー(ビルマ)は、何処を歩いていても、バコダと呼ばれるお寺が見え、仏像が沢山あります。
この国の柱は、仏教だと思います。勿論、政治や経済が国の重要な根幹であることは間違いありませんが、軍人も農民も商人も、大人も子供も、金持ちも貧乏人も、この国のすべての仏教徒にとっては、精神的な柱であると思いました。仏教は、日本のようなお盆や、お葬式の時にだけお寺に行くのとは、まったく違うものとして存在しています。バコダも外人観光客は写真を撮るだけですが、ミャンマー人は、心の深いところに仏陀の教えがあり、心の底からお祈りしているのが解ります。18才くらいの若者が、満月の御祭りの時等は,ワンサとバコダへ、押し寄せます。
マンダレーのオールナイト フルムーンフェステイバルに行った時に、偶然、以前泊まっていたホテルの従業員達に出会い、一緒に過ごしたのですが、日頃は、結構、生意気な若者達も、仏陀の前では静粛な顔になり、親のために一生懸命祈っている。そういう姿を見ると、人にとって育つ環境というのが、どのくらい大きいものであるか解りました。ミャンマーは少数派のモスリム教徒やキリスト教徒もいますが、多かれ少なかれ、この国の仏教の影響を受けています。
宗教でなくても、何か生きていくうえでの柱になるような哲学のようなものが、現在の日本にあるのかなと思ったりする。ここも貨幣経済があり、誰もが、少しでもお金を稼ごうとしていますが、仏陀の教えの方が、物やお金より大切にされている気がします。中には、欲望でギンギンの人もいますが、ほんの30年位前までは、この国には、食堂というものが無く、食べ物を人に売ることは、大変、不徳な事とされ、食事は人に振舞うものだという考えが、当然でした。今では町に食堂もたくさんありますが、人の考え方の中に、仏教に根ざした敬愛があると思います。本当の敬愛心や信頼が、人間関係にあれば、寂しさや不安が、人を覆ってしまう事はありません。
私は日本人なので、タクシーに乗ったり、買い物をしたりする時に、ミャンマー人より高い金額を要求されることが、時々あり、チャット(ミャンマーのお金)と円やドルの格差が大きいため、当然、外人観光客はお金持ちという存在になり、持っている人が、より多く払うのは喜捨の心であり、良いことなのです。払いたくないときは、払いませんが、日本や欧米では、誰もが同じ金額で、同じ物を買えるので、一見平等に感じます。しかし、自分が、もし一文なしになった時や、困ったときは、誰か、助けてくれるという安心感がミャンマーにはあります。他人と自分の距離が近い所は、良い国です。
それは、哲学や宗教は、、使い方一つで、便利なものから恐ろしいものにも、変化します。
宗教は自分で、悪くも良くも使える精神的な手段のひとつで、宗教も哲学も、自分達が、より精神的な発展を遂げる為に使えるかどうかで、 それによって、人間が精神的成長を遂げれば、異教徒間にも尊厳が生まれ。より宗派にとらわれない大きな何かに、変化していくのだろうと思います。私はどの宗教に属していませんが、仏教やヒンズー教の教えからその「心」を学んだと思っています。
ヤンゴンのホテルの部屋から見たシュエダゴンバコダ
マンダレーヒルの大仏陀
マンダレーヒルのイスラム様式っぽい寺院の 仏陀達
マンダレーの子供の修行僧、ゲバラのシールは、社会主義時代の名残か
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