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NO3 マンダレー ミャンマー旅 NO1NO2 NO4 NO5 NO6 NO7 NO8 NO9 NO10もあります


一週間ほど経ち、ようやくヤンゴンにも慣れ、生活もし易くなったが、今ひとつ欲しい石が見つからず、
少しめげていると、
たまたま入ったレストランで、日本に10年いたという、日本語ぺらぺらのミャンマー人夫妻に 出会う。親戚を紹介するから、、少しでもモゴック(コランダムの産地)に近いマンダレイに行ってみてはどうかといわれ、その気になった。その町を知り、過ごし易くなると、他へ行きたくなる旅人の癖と、なかなか石が見つからない事、そして、いいタイミングでこの話。マンダレーが、もしだめでも、とにかくここを出ようと思う。本当は、モゴックへ行きたい。しかし、今は外国人の立ち入りが禁止されているので、入ることは出来ない。ミャンマーは外国人立ち入り禁止の所が多い、というよりは、旅行者の行ける所が限られている。政情等を考えれば当然ともいえるが、いつかは行ってみたい。

ネットでコランダムのショップをやろうと思い、いつものように行けば何とかなるだろうと気楽に考え、気まぐれを頼りに来ては見たものの、現状は思った以上に厳しかった。旅が、自由に出来ないという事は、経済も含めて、全てに政府の規制があるということだ。ただの観光できていれば、それ程感じないことも、私のような一個人が、買付などという事をやろうとすると色々見えてくる事もあって、そうか、自分は仕事をしにここへ来ているのか等と、人事のように思ってしまう。でも、ここで落ち込んでもしょうがないと気を取り直し、早速次の日のマンダレー行きのバスを予約し、ここをでれば、違う風も吹くなどと考えながら、蚊取り線香を点けて、就寝。

現地の煎餅みたいな菓子を沢山買って、バスに乗ったのが午後5時、予定の4時間ほど遅れて翌日の午後1時頃マンダレーに着いた。 ヤンゴンに比べれば、静かな街。暑さはヤンゴン以上だが、少し中心から離れるとのんびりしている。初めの4日ほどは街の中心の安宿にいたが、もっと静かな所に行きたくなり、郊外の中級ホテルに移った。石は紹介されたミャンマー人もあまり詳しくは無かったので、結局自分でも、色々な所を回る。観光らしきことは殆んどせず、石屋と彫金工房めぐりに少し疲れ、アマラプラの湖に架かる、200年前に立てられたという1,2キロもある橋の中ほどにある休憩所で、近所の子供や、釣り人達を眺めながら、昼寝をした。ミャンマーの時間の流れ方が、少し分かった気がしてホッとした。もともとあまり観光名所には行かないで、その辺の茶店等で、ゆっくりとお茶を飲んだりして過すことが多い。その方が、面白いし、その土地の普通の人の暮らしぶりが分かる。

どんなに疲れても、面倒なことがあっても、その国の空気感みたいな物をジワーと感じた時の気分は何物にも代え難く 、来て良かったと思える瞬間です。どこの国でも、そういうものは、観光とは関係ない、普通の庶民の暮らしの中にあるようです。日本にもかつてあったような気がする、子供のころ見た夕焼けのような懐かしい感じ。






初めに泊まった市街のホテルの前で、従業員や客と、夜、ギターを弾いたりしてくつろぐ




このイギリス人のおっさんが、ギター好きで、外人ばかりを食う蚊の大群と戦いながら、セッション。
持って着てよかった日本製 虫よけのスプレーと浴衣。


よく道端でやっている小銭をかけたシンプルなゲーム マンダレー郊外



学校帰りに近所のの茶店でくつろぐ中学生か高校生


右は東南アジア名物、輪タク、ミャンマーではサイカーと呼ばれる。語源は英語のサイドカー

ミャンマー旅 NEXTNO4 

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